いよいよ大学院へと進学となった。
大学院ともなると、ちょっと違う。同じ研究室の後輩の指導もしなくてはいけない。
「はて!私に指導されるようなかわいそうなことを教授がするのか?また、あの戦略的...なんてゆうものを1年でなんとかしようなんて奇特な後輩がいるのか!」とても心配していた。
しかし、百戦錬磨の教授と助手が面白いコンビをつけてくれた。面白いというと失礼であるが、いろんな意味で面白かった。
一人は、とても理解力があり非常に頭がよくちょっと背の低い男で、もう一人は、大柄で運動能力の優れた男であった。
この2人には大いに迷惑をかけたが、今でも元気にしてるのだろうか!迷惑をかけたというのは、それ以来音信不通なので、おそらく当時の事を怒っているのだと思う。
まあ、昔の事なので、私は、水に流しているのだが、本人達にとっては、相当苦痛の日々であったのかもしれない。
それはさておき、microVAXというDECのマシンが、学科に導入された。その端末が我が研究室にも置かれた。
その二人の最初の仕事は、我々の作った(CP/M上の)システムの移植である。VAXにはVAX LISPが稼働しておりcommon LISP準拠のため標準的なLISPを使えるという喜びはあった。
なんにしても我々にとっては最高のマシンに最高のソフトである。それも、他の研究者が居る中ほとんど独占状態で使っていた。
2人には、次々に課題が出される、教授はパワフルである。助手は、他の研究者を担当していたので、余り、関知してくれなかった。
私もいろいろ口出しをしては、大学院の授業を受けに行く。ほんとに、この2人は、本当によく頑張っていた。私は、感謝していた。
階層的な意思決定手順のシステム化をインプリメントしているときなんぞは、ちょっと気の毒な気もしたが、不満も(ちょっとしか)言わず、黙々とやっていた。
実は、この学科の大学院では、大学院の卒業に授業の他に「英語」の試験が特別にある。年2回行われるが、これに受からないとどんなにすばらしい研究をしていようと終了できない。
困ったものである。第1回目は、8人中2人が受かった。そのうちの一人がなんと私である。最初「冗談だろう!」と思った。もう一人は、むちゃくちゃ頭がいい。
かれと私の二人だということは、「結構私も英語ができるんじゃないか!」なんてのぼせていたら、ある教授から、「ぎりぎりでも通ればいいんだからね!少し、底上げがあったのかもね!?」なんて嫌みを言われたが、「その通り、受かれば良いんだ!とりあえず、修了はできるかもしれない。」とちょっと自信をつけていた。
が、研究室では、7不思議の一つと言われた。これには、裏がある...テストの1ヶ月くらい前から研究に関係のある洋書を読みまくっていた。
知らない単語も文章の流れからなんとかわかるような気になっていた。新聞も英語のものに換えた。その結果テストの英語も何となくわかるようになっていた。
その後は、元通りであったが...。辞書を引くのが嫌いな私にとって方法は、「読みまくる」しかなかったが、方法は人によって違うものだから、結果として良かったようだ。
研究を後輩にあずけ結構いろいろやらせてもらった。来年は、修士論文だ!とわかっていたので気にはなっていたが、このころが一番本を買って読んだ時期だと思う。
そうそう、この年は、ついにMy Machineを手に入れた。N○Cの9801VXというCPUが286の10MHzで動くマシンである。当時は、8086+8MHzが主流だった。
助手には、「そんなの買って本当に大丈夫?ソフト動くの?」と言われた。そのときは、うそ〜、N○Cのマシンだから動くだろ!なんて半信半疑だった。
今思えば、正しい選択だった。当時ハードの知識の乏しい研究室だったので、助手の言葉はきつかったのである。しかし、研究室のマシンは、8インチフロッピーが主流
だったので、涙ながらに、ジャンク屋で8インチ用のドライブと電源とコードを買って、段ボールを筐体替わりにして作った。
今思えば、このころからDOS/V貧乏への伏線があったのだろう。そのマシンを研究室に置いて使っていたら、段ボールのドライブを見た助手が、丁寧に「よくできましたマーク」を描いてくれた。
小学校以来であったので、ちょっとうれしかった。研究用というのが買った理由だが、いつの間にかゲームマシンになっていたような気がする。
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