1987年頃

いよいよ大学院も2年目。そう!修了研究である。研究を手伝ってくれていた2人は、卒業した。ついに、自分でやらなくては成らない。
嘘のような現実である。私には、「太平洋ひとりぼっち」を書いた堀さんの心境がよくわかった。おそらく、こんな気持ちで、太平洋をヨットで横断したのだろう。 maicroVAXの意味不明なマニュアルの英語と戦いながら、少しでも前進を!と自分を励ました。本当であれば、就職活動をしているはずだが、そんな余裕はない。 気持ちは、修了である。途中、教授にも「この研究論文は、国立図書館にも納められるんだよ!公文書だからね」らしきことをいわれ、なおのことプレッシャーがかかる。 あれも、これもとやっているうちに、自分でもプログラムがよくわからなくなってきた。使われてない関数なんてざらに残っていた。しかし、そのときは、 あとで、役に立つから作っておこうなんて考えていたので、人間の「あとから心理」にはまりこんでいたようだ。この、後でやろうなんて言ってやった試しがない人がほとんど だろう。人の熱意は、時間とともに冷める物である。怒りは、ます場合があるが、やはり、かなり時間がたつと忘れたりすることがある。いいかげんなものである。 そのいい加減さが、このプログラムの随所に出ていたようで、あとで研究を受け継ぐ人は、災難だろうなと思っていた。注釈は、できる限りつけたが、プログラムの量を考えると、 無いに等しいかもしれない。こんなことを考えながらも着々と研究は、進んでいった。教授による練り直しも多かったが、他の人にはほとんどわからないものなので、結構すんなり 進む。悪運は昔から強かった。もって生まれた物で親に感謝している。気が付いたときには、夏前である。「そうだ!就職!」。教授に推薦を申し出ると、「どうせ地元に帰るんじゃないの?」 と言われ、結構落胆した。しょうがないので、自分で探した。スタートが遅いので半ば、就職浪人も覚悟した。私は、理系人間も文系人間が強いとされる方面に出るべきと考えていたので、 結構無茶な方面に手を出した。その結果、やはり失敗した。そうでなくても、大学院卒の理系は扱いにくいんだそうだ(裏で聞いた話)。「私をとらないと損をしますよ!」というのは、 逆に自分を安売りしているみたいで言わなかったが、面接の中で「わたしは、1社づつ訪ねて面接を受けている。一度にいくつも受けるのは、どこでもいいと言ってるようなもので感心しない。 御社を本当に希望しているかどうかはこの時点で違っているはずだ。」なんて馬鹿正直に言ったりしていた。みんな、受かったら他には行かないと言うに決まっている。やはり、そのように とられたのだろう。この「馬鹿正直戦法」は全く通じなかった。研究しながらの面接は疲れる。気が付いたら、8月も下旬であった。やはり、ここは、学校にお願いしよう。 「どっかない?」と聞いたら、「I○Mがもう一人欲しいと言ってるけど受けてみる?」と聞かれた。よりによって、コンピュータ会社である。確かに、情報化社会と言われていたし、 一般的には、悪くない話であった。が、私は、コンピュータの世界から抜け出したかった。使うのはいいが、そのものを開発するなんぞもうまっぴらごめんだ!と思っていた。 しかし、外資系、実力社会、世界一...どれを取っても申し分ない相手である。しかも、会社訪問解禁日まで目前である。悠長なことを言ってる間はない。 と思って、「受けます、お願いします」と頼んだ。面接は、本社で行われた。さすがに、すごい。ひとりぼっちで乗り込むには、少々勇気がいる。ちょっと早く着いたのだが、そのまま 受付で面接を受けに来た旨を伝えた。さすが、「受付嬢もべっぴんである」これには、少々気持ちを動かされた。エレベータでかなり上まで行くと。「ちょっと早いね」と出迎えて下さった。 研究の内容とか、今日読んだ新聞の内容とか、結構ありきたりの質問が多かった。「体力には自信がありますがら...」を連発していたら、「営業がしたいの?」と聞かれた。 「仕事としては、今の研究が少しでも活かせるような仕事の方が、即戦力になると思います」と答えたが、これが全く入社後の仕事に関連しないのがご愛敬であった。 最後に、「我が社の仕事はかなりきついよ!」とだめを押されたが、「もともとその覚悟はできてます。 仕事がきついからといって投げ出すようなことはありません。」ときっぱり答えた。そして、わたしは、この会社しか考えてないが、解禁日が近いので採用でも、不採用でも早めに教えてくれと伝えた。 数日で返事をするという返答であった。まあ、数日待とうと研究に戻った。しかし、待てど暮らせど返事がこない。こりゃ、落ちたか!次を...まあ、就職課へ次を推薦してもらおう!。 就職課では、「どっちにせよ連絡は来るはずだ」という。ある人が「ちょっと待ってね」と言って他の人の机の上を見ていた。すると、「採用通知がきてました、ごめんなさい。おめでとうよかったね」と... あんたらええかげんにせ〜や!と思ったが、そうですか、じゃあとはよろしく。と研究室に帰った。やはり、わたしは、悪運が強い。面接の雰囲気は、「ど〜も扱いにくそうだ!」と 受け取られた気がしたので、無理かなと思っていた。やはり、みんなと同じようにするのがいいのかと落胆していたので、なんとなくほっとした。 その後、いろんな教材や本が来て、学習しておくようにとある。研究と併せて格闘する日々であった。 修了研究は、わりかしうまくいったのではないかと思う。わからない人が多かったのでやりやすかったせいもあるが。発表もすんで、いよいよ就職となった。このころの私は、それまでのヘビースモーカーから足を洗っていた。 止めること。それは、苦難の日々でもあったが、心に決めたかた〜い意志の表れでもあった。(このことは、後日もろくも崩壊することになるガラスの意志であった)