| 1989年頃 | 入社2年目ともなると、本当は、仕事にも慣れてきて...ということなのだろうが...慣れない。その中でも、英語との格闘が特に辛かった。周りの皆さんは、結構喋れる。しかも、当たり前のようにである。なんでだろう?と首をひねった方向に外人の姿があった。そうか!私の2つ上のボスはチリ人だ!その上は、アメリカ人だ。な〜んだ。話せないと仕事にならないじゃないか!...仕事に慣れないはずであった。20MBのHDDのついた8086のコンピュータでMultiplanのv1.0と格闘しているのは、何かおかしいと感じ始めた頃であった。ここはほんとにコンピュータ会社の中なんだろうか?ボスに聞くと、性能の良いコンピュータはお客さんにかってもらわないといけないので、内部まで回ってこない。どう考えても、償却終わってるで...とも思ったが、もう少し、なんとかならんでしょうか?....唯一の楽しみは、ニューマシンであった。このころ、ディスプレイカードを開発してる友人から、日本語とUSのどちらも動くマシンが出てると聞いて、「英語も大丈夫だから」とそそのかして、ニューマシンをこの部門に入れましょうと言った。しかし、英語は、今のマシンでも打てる!そのとおり。でも、せめて、Multiplanのバーションアップをお願いします。と申し出た。「何?そんなんがあるのか」これがコンピュータ会社の実状であった。当時は、まだ、コンピュータどころかワープロも一般家庭に浸透してる訳でなかったので、ある意味では、まあ、知らない人の反応としては、普通だったのだろう。でも、コンピュータ会社である。HDDがついているだけでも幸せだと思い始めていた。そうこうしているうちに、下の階から、私の居る部門に若い人が、移ってきた。そのひとは、最新の286マシンにでっかい画面を付けていた。おお!産業用マシン関係から移ってきたので、それはそれは、見事なマシンであった。こんなものが、工場の中で、動いているのか!さぞかし邪魔だろうな...というほど、でかかった。その人と、仲良くなった。飲みにつれていってもらったり、ビリーヤードの好きな人なので、よく行った。ただ、やりたいことが、ちょっと違ってたようで、行きたい部門に行けないつらさをいろいろ聞かされた。よくかわいがってもらったので、非常に感謝している。ただ、この部門は、もういい。他の開発部門へ移りたいと思っていた。ただ、オフィスの場所は、非常に良かった。築地である。おいしくて安い店はいろいろあるし、富士山が見えることもあるし...誘惑は多いし!?でも、一番気になっていたのは、「なんで、こんなとろくさいコンピュータを使って居るんだろう。このあたりの記憶が、私を(無意識のうちに)最速マシン依存症へと導くようになった気がする。 |