1990年頃  入社3年目ともなると、本当は、仕事にも慣れてきて...ということなのだろうが...と同じ調子。築地から研究所へ移動。しかし、仕事内容は、一緒。と、ところが、ついに、一人でとある部門のお世話をすることになっていった。(ほんとに、いいのかな、結構無茶なことをするな...と内心心配であった。)しかし、端末(ホスト)がはやい。ここから、築地に回線を引っ張っているんだから、たしかに前は遅かったので、なんせ早い。う〜ん、実は、うちの機械って速いんじゃないか。そりゃあ、売れんといかんわ...なんせコンピュータ会社である。このころには、前にも触れた○55○○チステーションという名のマシンから、ついに解放され、まあこんなもんだろうマシンになっていた。そのせいもあるのかもしれない。しかし、提出資料を作るのに、なんとも手仕事が多い...なんせ多い。「これを半自動化して、見やすくすれば、結構良いかも」と勝手に決めつけ、コーディングを久しぶりにした。正確には、プログラミングと言うのだろけど。関係部門の方と話をしながら、ちょっとづつ、かいていった。人事の知り合いにも無理を言って、データをもらったり...(何故か人を有効に使う手段を見つけてしまう)。「我ながら使えるじゃん」的なプログラムが出来た。あとは、毎月プログラムを走らせば、とりあえず有用なデータが出せる。こんなもの、データを打ち込み直して、結果を電卓で検算するなど、必要なんだけど馴染めなかった私にとっては、このおかげで、だいぶ楽に仕事が進められるようになった。ホストでプログラムを走らせるなかで、無限ループに入れてCPUを独り占めしたり、HDDを勝手に広げて(正確には半ばだますようにして必要以上にもらって)、あれこれ必要のないプログラムまで作ったりしたかいがあった。いよいよ私の時代...。プログラムをどんどん変えていった。中には、一回の操作ごとに、いちいち結果をグラフィック表示させて、何秒か後にかってにまた他のプログラムに入ってゆくようにして、時間稼ぎプログラムを書いたこともあった。動いてるのが、よくわかるので、周りの人には、コンピュータが仕事をちゃんとやっているように見えただろうと思う。その間は、コーヒータイムに割り当てられていた。研究所に配属になって、いちばんよかったのは、同期入社の友達と結構仲良くしてたので、いろんなつてで、コンピュータの部品が手に入ったことであった。気がつくと、外見は一緒でも、中身はかなり変わっていた。なかには、「俺が実環境でのテストをしてやろう」と無理矢理持ってきたものもあった。半分は、本気でテストするつもりで、半分は「ラッキー」というやつである。
しかし、仕事は、どんどん増えてゆく。なんだかな〜と考える時期もあった。まあ、考えただけだけど。熾烈を極めたのは、上司が休み中のことであった。この会社には、長年勤めると、金一封にカメラ等の製品を選んで、しかも1ヶ月の休暇がもらえる制度があった。これを利用して、上司が休んでいた。当然、その間代わりをつとめる人が居るのだが、このひとは責任をとるのが大嫌い。他人の仕事をするのが大嫌いと言う人...だったとおもう。結構面白い人で、悪い人ではないのだが、このときは、悪魔に見えた。海外とのやりとりで、営業サイドとちょっとした問題が起きた。休暇中の上司の上司はOKを出したのだが、なぜかその代わりの人は、「NOといったらNO」という、しかも、英語で「タタタッ」と文書を売ってくれて、電子メールを流してしまった。しかも、上司の上司にも。ご丁寧に。当然、私が、出したことにして。しばらくすると、上司の上司が、やってきて、どなりあげられた。怒って当然なのである。その人の声は、日頃から大きかったのだが、このときは、フロワー中に「ウォンウォン」響いていた。当時、私は、ハードコンタクトの装着練習中だったので、しょっちゅう痛さに涙を流していた。そのときも調子悪かったので、目がしょぼしょぼしていた。ものすごい調子で怒られているので、コンタクトをはずしてどうこうしようという間合いが無く、泣きながら怒られていた...と周りには移っただろう。なさけない。最後には、その方は、まあ、気を付けなさい、と言葉を残して、帰っていた(低調子である)。「こいつ、怒られたくらいで泣いて」と映ったのだろう。あ〜、なさけない。しばらくしたら、ちかくの方々が、慰めに来てくれた。私は、そこまで思ってなかったのだが、「こっぴどく怒られてる」と見えたのだろう。代わりの人は、そのときもマイペースであった。意に介さず。間違ったことはしてない的発言もあった。「あんたがそうしろといってやったんだろうが」、とちょっと思ったが、それより、涙を見せたのがはずかしかった。その怒鳴った方は、いい人で、ちょっと素朴に見えてなかなか切れ者であった。まあ、怒られたのは、人に任せた私が悪い。(しょうがないんだけど)。そんな、こんなしてるうちに、私のマシンのモンスター化(当時)は続いた。